いまだ多くの人の業を背負い続けている作家、太宰治。「恥の多い生涯を送って来ました」の書き出しで知られる『人間失格』をはじめ、2023年に生誕114年を迎えてもなおその作品は読み続けられており、全く色褪せることなく読者の心をわし掴みにしている。三鷹の古本カフェ「フォスフォレッセンス」の店主・駄場みゆきは、そのルックスに魅了されて以来の太宰の追っかけだ。そんな駄場に太宰との馴れ初め、そして根源的な魅力について訊いた。

「フォスフォレッセンス」の太宰関連書籍が並ぶ棚。

「フォスフォレッセンス」の太宰関連書籍が並ぶ棚。

「太宰治に惹かれたきっかけは何ですか?」今まで数えきれないほど質問を受けてきたが、「顔です。」と毎回正直に答えて来た。あれは20代半ば。図書館で見た本の中の「バー・ルパン」でスツールに腰掛けた太宰の有名な写真。この写真の表情や佇まいに、強烈に惹かれる瞬間があった。紙面からでも色気が放出されていて、自分の中の母性本能が爆発した。「この人のこと、なんだか分かる。」そう思った。恋に堕ちたその日から貪るように太宰作品を読み、益々その魅力に引き込まれていった。

好きなことに突き進んでいく入口の大切な場面。今でも鮮やかに記憶している。太宰さんって食事中も眠っている時も、つまり四六時中、小説の構想を考えていた人で、そんな夫を美知子夫人は、めんどりが卵をあたためている様に喩え「金の卵を抱いた男」と渾名を付けた。(『回想の太宰治』より)太宰治といえば、少し憂いある物憂げな表情で頬杖をついているイメージが強いのではないだろうか?文学スイッチずっとオン、つけっ放しの人生の末、仕上がった風貌。あの顔は創作魂の賜物。命を削って芸術と向き合い刻まれた、太宰治の代表作だと思う。

そんな太宰さんが、飲みの席で酒に酔うと、ふと緊張をほぐし、笑みさえ浮かべたルパンの写真。1つだけ残っていたというフラッシュバルブで、林忠彦が撮影した奇跡の一枚。文学の宝を世に授けて下さったおかげで、今の私がいる。

好きになったきっかけは「顔」。時代と逆行しているかもしれないが、あの時感じた強烈な感覚に正直でありたい。

墓前で出会って「太宰婚」を果たす

太宰の故郷青森県金木駅前で現在のパートナーと。

太宰の故郷青森県金木駅前で現在のパートナーと。

そんな出会いを経て『斜陽』で卒論を書き、卒業後は京都市内で新刊書店に勤めながら本に囲まれる日々。初めてパソコンを買い「太宰治」と検索してみた時、1ページ目に出てきた太宰治ファンのHPに釘付けになった。デザインも管理人もかっこよくて、掲示板でのファン同士の交流に夢中になった。

忘れもしない1999年の6月19日桜桃忌。3つの太宰治ファンHP合同オフ会に参加した。京都から夜行バスで新宿→三鷹→太宰治の眠る禅林寺へ。朝もやの中、墓前ですれ違ったのが、松山から夜行バスでやってきた例のHP管理人の彼で、のちに夫となる人であった。太宰治が縁結びで結婚、「太宰婚」を果たした。(もし詳しく知りたい方がいらっしゃったら、拙著『太宰婚』(パブリック・ブレイン刊)を手に取っていただけましたら幸いです。)

京都から、桜桃忌の度に夜行バスで駆け付けた。太宰ゆかりの百日紅、玉川上水や陸橋など足跡巡りを繰り返し、三鷹の街にも次第に惹かれていった。桜桃忌が終わればすぐに日常に戻る。何だかさびしい。日常へ帰っていく前に、あともうワンクッション、桜桃忌の余韻や太宰治のムードに触れる場所が欲しい。

ある時、「ハッ!待てよ待てよ」と閃いた。そんな場所がないなら、自分で作ってしまえば?と自らに問うた。すると、20代前半に初めてNYを旅した時に、街角でブックカフェを見かけ、いつかこんな店がしたい!と思った夢がムクムクと蘇り、太宰治ファンが開く古本屋兼カフェという現在の青写真がバチッとハマった。

その後はスピード勝負。太宰ファンで元古書店員の夫もあっさりOKで、移住を計画。二人とも三鷹に親戚縁者がいるわけでもなく、ただ情熱だけを持て余し、あっちへぶつかり、こっちへぶつかりしつつ、約半年間の準備期間を経て、2001年12月25日クリスマスに京都から三鷹に引っ越してきた。なんとかOPENに漕ぎ着けたのが2002年2月5日。

紆余曲折ありつつ時代は平成~令和と移り、ただ今開店22年目。不器用で商売下手で持病持ち。続ける原動力はひとえに「好き」の気持ち。 22年間で世の中は随分変わった。ついていけないと感じることも多い。太宰治の魅力の1つに、いつの時代も変わらない人間の根源的な内なる部分について書いている、という面があると思うが、そことリンクして内なる衝動がずっと脈打ってる感じ。

こんな時代だからこそ、自分の中から湧き上がってくる「好き」という真っ直ぐな気持ち、これは信じられるという確かな想い、この気持ちに誠実だったから、続いているのだと思う。

それに私はラッキーだった。見る目があった。あの日、一枚の写真を見て、図書館の椅子で震えた直感は間違いなかった。22年間、好きな気持ちはずっと右肩上がり(太宰人気も右肩上がりだが、その話の深堀りはまた他日。)情熱が冷めることはなかった。太宰文学の世界の奥深さ、そして太宰治の人としての魅力の果てしなさ。それは机上だけでは見えなかった。三鷹に住み、歩き、聞き、お客様との交流で、手ごたえを積み重ね育てたかけがえのないもの。

好きな作家の暮らした街で店を営む。推し活、究極のかたち

古本カフェ「フォスフォレッセンス」外観。

古本カフェ「フォスフォレッセンス」外観。

ある日、お客様に「このお店は推し活の究極のカタチですね」と素敵な言葉をかけてもらった。人生最大の「推し」に出会うことが出来たのは、最高の幸運。もっと言うと、太宰さんが私を見つけてくれて、三鷹に連れて来てくれた。時にはそれくらい大胆に自惚れて、自分を励ます。好きな作家の暮らした街で店を営み、その魅力を伝えていく幸せな職業。今を支える全てに感謝したい。

この記事の締切直前、サザン45周年ライブ参加で茅ケ崎を旅してきた。ライブも茅ケ崎の街も最高で、ファンの方々の「好き」に向かうエネルギーにも大いに刺激を受けた。 当店にも遠方から太宰ファンが来店下さる。初版本棚の前でパッと表情が変わる瞬間に立ち会うと、この場を提供出来ている幸せと、開店当初の夢が叶った実感が湧く。もっと喜んで頂くにはどうしたら良いかの学びを得るため、時折、旅人の立場に身を置く。今回も沢山のヒントを持ち帰ったので、店主側からお客様に還元していきたい。

三鷹を訪れる人たち、この街に少しでも貢献出来たら...そんな想いで、今日も店に立ち、太宰治を伝える。本を売る。生業は続く。

次回は12月に撤去が始まる、太宰ゆかりのスポット「陸橋から愛を込めて」です。